2016年02月22日

哲学

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我が脳ミソはどうも哲学志向(嗜好か?)というものに支配されている様なのだ
が、その哲学とは「言葉で分かりやすく伝えられる、人への普遍的メッセージで、
それを受け取った人の自発的志向や行動に作用し、その人や、ひいては社会を幸
せにする事のできるもの」と言える ?
(2016/2/22 Twitter)
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2013年06月27日

改革、改善 という事について

世の中の改革、改善と言われるものを見ると

旗印として「改革、改善に見える」ものは多いが
実態は「改変」にしかなっていない、
つまりは本当に長い目でみて「善」に働くのか疑問、
というものがほとんどのように見える。

また、本当の改革をしようとすると
その道のりが困難でなかなか実現しないと思われる
ものも多い。

しかし、一つだけ言えるのは
改革、改善を求め続けない限り
それは決して実現されないという事である。

決して諦めてはいけない。
継続は力なり。
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2013年06月21日

市民税、県民税、国民健康保険 支払

6月半ばに、市民税+県民税の
昨日、国民健康保険の請求がきて
それぞれ、13万弱、38万強
併せて52万弱という額であった。

結構な額である。

税金は4回、健康保険は10回と
分割して支払う事もできるが
手間が面倒であり、
払い忘れというのもイヤであるので、
毎年一括で支払う。

そうして、支払は必ず市役所の支所で、
という事に決めている。

多額のお金を受け取っている仕事なのだ
という自覚を促す目的である。
果たしてどれだけ効果があるかはまぁ
我ながら疑問ではあるが…。

本日も自宅に一番近くの支所で支払。
窓口に女性2名、奥に男性3名。
特に仕事がありそうもなく、待機の風情。

もっと仕事しろよといいたくなる。

人員配置は、一番忙しい時を見越して
という事なのかも知れないが
もっと負荷のバランスを考えて欲しいもの。

今回の支払の受取などは、市民サービスとも言い難く、
こちらとしては何かサービスを受けている気分もなし、

健康保険にしたところが、
支払った額と受けたサービスを対比すれば
なんだかソンしているような気分にもなる。

健康保険は
あまり健康に恵まれてない人も含めての支え合いでもあり、
また、道路や学校などの運営・維持も税金によるので
支所の窓口だけが閑そうな事をみての批判は
まあどんなものかという気もするのではあるけれど

それにしてももっとやり方はあるだろうと
毎回、職業柄思うわけである。
(経営コンサルタントでございます。(^^))
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2011年06月24日

自分らしさ

若い人は、自分らしさをさかんに意識する

それは当然の事だ。

しかし、現代は何でもありなので
逆に自分らしさが見えにくい。

自分らしさは制約があった方が見えやすいのだが
若い人は無意識に制約を嫌う
そこで自分らしさが何かが見えにくくなる

判りやすいところで言えば
学校の科目。
この科目って「枠」があるから
自分の得意・不得意がわかりやすい。

ちなみに
得意もないが不得意もない
というのも
自分らしさだったりするのだが

それはなかなか そうは捉えられないものだろう。

また、不得意・苦手も「自分らしさ」
の一環なのだけど、
若い内はそんなことは認めたくないかもしれない。

自分らしさをどう見るか、どう出すか は
人生をどう考えるかという事と密接に関係あるのだが

ここで言った事などを題材にしての
「哲学」の時間を中学校くらいで設けてやる
という事が

現代の世の中では必要ではないか
と、そんな気がする。
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2011年06月23日

決まり事、しきたり

昔は社会的な決まり事が沢山あった

家柄、しきたり、年中行事…

封建制度の息苦しさもそこにはあり
低層からはい上がれない、はい上がりにくい
という事もあった。


現代はなんでも、ほぼ自由である。
(金さえ有れば、という側面も無いではないが…)

しかし、一方で伝統の良さは廃れる傾向にある
それは残念な事のように思う。
決まり事ならではの楽しさもあり安定感もある

毎年同じようにやってくるという事が
期待感を作る、生活にリズムを作る
ということもある。

決まり事には「判断停止」という側面もあるが
なんでもありというのは逆に判断不能(比較不能)
という事もあるように思う。

長い目で見たときにある程度の決まり事がないと
社会の安定、個人の幸福にはよくない

そんな気がする。

では、何を残し、何を変えていくのか
その工夫が大切であると思う。

そのあたりの基本的ルールについては
またいつか考えてみたい。
posted by コンカレイド at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年08月03日

ボトルネック

ボトルネック、文字通り 瓶の首 ということですが
そこだけ細くなっているという事に関連付けて

一連の作業(や工程)があるときに
ある特定の作業部分だけ 「細くなって」いて、
つまり、処理が滞ってしまっている
という事を意味することがあります。


昨日、神戸で勉強会があり、
お昼に近くのうどん屋さんで食事をしたのですが、長蛇の列で、

でもそこはさすが ジャパニーズファーストフード、
まあそれなりに列が短くなるので、
皆で行ったという面もあり、一応ガマンして列で待ってはいましたが

ふと気づくと、店内の座席は3割くらいが空きとなっていました。

つまり、もっとキチンと行列を捌けば
店内にもっとお客を呼び込めるということ。

どこがボトルネックかと思ってみていたら
レジ(計算)のところでした。

レジを2つに増やせばボトルネックは解消し、
満席までにならなくても(つまり3割の空きが全部埋まらないとしても)
お昼の売上は少なくとも2割はアップすると思われました。

列に並んでから席に座るまで約15分。
食べるのはほんの3分くらいです。


さて、私の注文は
かまたま明太子のせ(温めん、です) だったのですが

うどんを渡されてレジまでの時間がながかったので
(といっても2〜3分くらいだけど)
たま(玉子) の ねっとりうどんにからんだのが ウリ のかまたまなのに
うどんの余熱ですっかりゆで卵状態。
せっかくの かまたまの ウリ を台無しにしていました。

こういうのをみると
店長やら経営者やらの目配りの悪さをおもわざるを得ません。

経営コンサルタントという職業柄ついつい
頼まれもしないのにこういう検討をしてしまうわけですが

経営はほんのちょっとした目配りで
大きな結果の違いを生むこともある
ということのいい例だろうと思いました。

−by くろヒゲ−
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2010年06月08日

ホームページの使い方についてのご相談

Image195.jpgあるお店に伺っています。
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2010年05月19日

試し

??.jpg支援先にて、
電子メールによるブログの即時更新の実験
をしてみました。

iPhoneから送信です。
posted by コンカレイド at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月26日

金は天下の回りもの

「金は天下の回りもの」

広辞苑によると、

『金銭は一人の所にとどまってはいない。貧富は固定したものではない。
「金は天下の回り持ち」とも。』

とある。

個人的には、
お金は使ってもいつか返ってくる。
使いどころを間違えるな。
と理解していた。

具体的にいうと、
友達付き合いにゼニ惜しみをするな。
勉強の投資に金を惜しむな。
というような理解をしていた。

さて、今日、ふと思ったのだが、

我々の貯金。
これは表向きは回ってないが、
銀行などに預けているとそれが投資資金に使われて
実は「天下の回りもの」としての役割を果たしていた。

それが、昨今、「投資先」とやらにこまり

(つまりは、簡単にゼニもうけができそうな
 投資先という「夢の存在(?)」がなくなり、
 夢の替わりに必要な知恵もなく…)

金が回らなくなったのがこの不況のようである。

いま民主党のいっている「個人に金を回す」というのは、
投資で回らないのなら「個人消費」という形で回すなら
経済はもっと好転するという事だろう。

そんなに簡単なモノなのか、とはちと思うが
理屈の上からは合っているようにも思う。

今話題の鳩山首相家の金の回り方からすればまことに知れたものだが
自分の日々の暮らしからみればそれなりにまとまった額ではある、
親の残してくれたものに接して、そう思った次第ではある。

質素を生き様としていたのはわかるが
もっと自分のために使ってくれればよかったのに…。
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2010年01月02日

感動の対価

感動の対価という事を考えた
これはサービス業の原点という意味としてである。

まず、例を挙げてみる

大道芸人がなにか芸をしていたとする。

つまらない芸にはお金を払おうとはおもわないが
自分が感動すれば、
お金を払いたいという気持ち
は自発的に心に内発し、内包されるように思う。

だからそこで芸人が帽子でも差し出せば
それに触発されて包まれていた自分の心の包みがほどけ
帽子にコインなり札なりを投げ入れることになる。

そこには、相手の芸と相手を認める事と、
相手を認めている自分(認める能力のある満足感を含めて)
を認める事

また
相手への評価として対価を投じる事によって
自分の感動の再確認をする事
が含まれているように思う。

ひろく考えると
「サービス」が有価であり得ること
つまり、サービス業で食えるという事
はここに原点があるのではないかと思う。
posted by コンカレイド at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記